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私が癌になったら

妻へ、娘たちへ

私の父は胃癌だった。父が40代の頃だ。手術で胃を全摘、そして回復。その後は元気に長らく過ごしていた。しかし、いつの日か改めて病魔が襲った。食道癌だった。医者は、胃の殆どを摘出しているので、食道を切除し、腸とつなげるような大手術が必要と言った。結局、リスクの高い手術はせず、放射線治療を行い、しばらく家で過ごし、数か月という短い期間であったが、母とドライブ、旅行、釣り、食事を楽しんでいた。そして亡くなった。

私は人生で最大の後悔をした。

医者は、「ガンである」とは明言しなかった。父は、そのために「腫瘍か何かをとらなきゃならない」と信じていた。だが、二度目の奇跡はないだろうと思った私は、医者と話したうえで、父にガンだと告げた。それを信じない父に、医者に質問してみるように言った。父は医者からガンと言われた。

なぜ、私はこんなに残酷なことをしたのだろう。私は、父が胃癌を克服した記憶があったために、今回も、ガンであることを受け止め、セカンドオピニオンを求め、場合によってはサードオピニオンを求め、出来る限り万全の態勢で臨み、直すのだと勝手に思い込んでいた。若気の至りでは済まされないことだ。

私は父を説得し、仕事を辞めさせた。治療に専念するためだ。

巷で売られているガンと名のつくあらゆる本を買いあさり、寝る間も惜しんで読んだ。怪しげな本も読んだ。一部には宗教色があるものまで読んだ。それでも、ガンが一体何であるのか、その本当のところは私には分からなかった。何が望ましい治療法なのかも分からなかった。早期発見と外科手術、放射線治療、自然療法、色々な薬のようなものも取り寄せて飲ませた。しかし、何もあてにはならなかった。成功体験などの逸話に振り回される自分が情けなかった。

何が間違っていたのか。
父に仕事を辞めさせたことだ。
父にガンを告げたことだ。

ガンを告知され、仕事まで辞めた父の精神的落ち込みようは、それはもう言葉では言い尽くせないほどだった。気がまぎれることもなく、あっちの病院、こっちの病院へと検査してまわり、意見を求め、家では死への恐怖、痛みとの闘い。それは闘いという言葉を使うには、幼い頃から偉大な父であった父なのに、そんなに格好いいものではなかった。ソファーで肩を落としてうつむいて座っていた父。

父は家にいても、気はまぎれなかった。あの人は仕事が生きがいだった。仕事が全てだった。だから仕事はさせてあげるべきだった。ガンの告知もするべきではなかった。本人も、いずれうすうす気づくだろう。それで良かったはずだ。

そう後悔している。もう随分と昔の話だ。

若輩者で世間知らずの私は、分かった風な口調で、ガンの治療法、最近の議論、病院の評判を父に説明していた。そんなことよりも、父ともっと普通の会話をするべきだった。もっと思い出話をしてもよかった。中学生の頃から、アホな反抗期のせいで。あまりじっくりと話しをする機会がなかったのだから。

そして、リスクが高い外科治療をするよりも、放射線治療を行い、その間は我々家族と一緒に、病院ではなく、家で過ごそう、楽しもう、ゆっくり過ごそう、旅行も行きなよ、それが私の提案だった。世間知らずな若者に過ぎない私の提案に対して、父は、「お前が言うことなら、きっとそうする方がいいんだろう。わかった」と言った。それで、そうなった。

父は、命をかけて、私の浅はかな提案に従うと言ったのかもしれない。なぜだろう。仕事を辞めたらいい、というのも私の提案だった。セカンドオピニオン、サードオピニオンまでとるのも私の提案だった。結局、医者の主張はみな違っていて、我々は判断根拠を失った。無駄足だった。検査疲れした。最後は、私が治療法を提案したのだ。そのときは、私は父が完治せず、最後を迎えるかもしれない、と思いながらの提案だった。負担の軽い放射線治療だ。

最後の正月。初日の出を見に行った。今でも、痩せた父と一緒に祈った、あの風景、あの冷たい風、あの父のしぐさと言葉「ガンがなおりますように」を忘れられない。

鮮明に覚えている。おれは取り返しのつかないことをしているのかもしれない。そういう不安がよぎったときでもあった。どの医者の言うことを聞くべきか、おれは間違えたかもしれない。なぜか医者の説明はみな説得的だった。しかし、みな主張が違っていた。どうしてこうなるのか。どこかに私が理解できない、漠然と通過している論点があるはずなのだが、私はそれに気づくことはできなかった。

そういうことを私はずっと引きずりながら生きている。そして、今、私がもしガンになったら、妻や娘たちにどうしてほしいだろうかを考えている。

ガンの告知は、元気なときは、みな「おれは告知を受けて良い」と思ったりする。しかし、人間はそんなに強いものではない。体が弱り、痛みが増し、疲れてくれば、告知はショックを倍加する。インフォームドコンセントは理屈だ。

私はまだ、迷い続ける人生を歩んでいる。
若い時よりも、煮え切らない人間になったような気がする。

それでも、妻や娘たちへは、最後の最後は、夫であり父であり男でありたい、そして等身大の人間でありたいと漠然と思っている。そう考えているうちに、妻や娘たちに任せようかとも思う。しかし、それでは、彼女達の精神的負担が重かろう。やはり、私が決めておこう。

おやすみ



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