過去は大事だけども・・・
昨日、「占いは統計学だ」という人がいたら気をつけた方がいいかもしれないと書いたね。それはそうなのだが、その理由は、「人の性格や人生に関する統計データがない」というだけの意味で読んでしまったらとしたら申し訳なかったね。統計データはない。そのようなものは聞いたことも見たこともない。作ることも出来ないだろう。しかし、もっと大切な問題がある。
仮に、統計データがとても整備されているような理想的な世界があったとしよう。もちろん、人の性格や人生についでだ。さて、そのようなデータがあれば、君たちの人生や性格が占えるだろうか? 特に、これからの人生について占えるだろうか? 私の考えでは、それは絶対に無理だというものだ。
過去や経験に学ぶことの大切さを否定するつもりは全くない。それはとても大事なことだと思っている。あくまで、歴史を楽しみたいとか、教訓を得たいという理由ならばの話しだ。しかし、過去、歴史、経験から、将来が見えると思ったら大間違いだ。だから、占い師が、「占いは統計学だ。統計データはあるのだ。数千年の歴史のデータがあって、それに基づく研究結果なのだ。だから、あなたの未来が見えるのだ」などといったら、絶対に嘘だと思って間違いない。それは絶対に嘘である。その占い師の元を立ち去りなさい。お金を返してもらいなさい。ああ、これはいけない。「絶対」という言葉を軽々しく使ってしまった。失礼。
過去や経験から学ぶことはあれども、それで未来は見えるようにはならない。なぜだろうか?
ここで私が解説するよりも、今まで歩んできた自分の人生を振り返ってみてほしい。
統計データで過去の傾向のようなものが見えるかもしれない。父親は、いつも仕事をしているから、きっと明日も仕事をしているだろう、というように。そのように考えてしまう傾向があるのは、世の常、人の常なのかもしれない。太陽は明日もきっと東から昇るだろうというようにね。でも、さっき振り返った自分の人生はどうだろうか?
何となく、昨日までと今日も同じ日が過ぎていくように感じることも多いかもしれない。でも、同じように過ぎている日々でも、どんどん変わっていっているんだよ。パパは今日まで生きているから、明日も生きているのかい? 生きていたいけど・・・・。いろいろなことを体系的に整理して書きたいところだけれども、そこまでしっかり考えていないし、もう夜も遅いので、今日は、一つだけ、書いておこう。
過去を振り返ると、「経路依存」だと思わないかい? 「経路依存」というと、賢そうな人たちが、あれやこれやと語っている論文や書籍、インターネットホームページ、ブログなどいろいろあるけれども、そんなに難しく考えるのはやめよう。「厳密に」考えることは、「厳密に考えたい人達」に任せておけばよい。さて、経路依存だけども、何かというと、君たちは、運命なのか偶然なのか、私とママの子供として生まれた。そして今の君たちは「だからこそ」の今なのだ。将来、どこかで好きな男性に出会うかもしれない。え? もう出会った? 連れて来てみなさい。パパはゆっくりお話したいと考えている。そういう出会いが人生を大きく変えることもある。その人との出会いは全く以って、過去の経験やデータからはうかがい知れないような、本当の偶然かもしれない。それで人生が変わる場合もあるのだ。人生は、そうやって、色々な出会いという予想外の出来事で、次が展開し始めることがなんと多いことか。
私がママと出会ったのは本当に偶然だ。そして結婚することになった。その「想定外だった出会い」によって、その後の人生が、出会わなかったときに歩んだであろう人生(そんなものはないのだが。あくまで空想の世界)とは大きく変わったはずだ。そういう一つ一つの、予想外の出来事に導かれて今日に至っているようなことを経路依存だと考えてほしい。専門的な厳密な正しい説明は、その道の人に聞いてみればいい。きっとつまらない説明をしてくれるだろう。
そういう、予想外の出来事で、次々に人生が展開していくことを、過去の経験や歴史は説明してくれるだろうか? 過去の歴史や経験では、「そういうふうに人生が展開していくこと」を教えてくれる。しかし、だからといって、これからどのように展開していくのか、様々な偶然の積み重ねが、どのような展開に導くのか、そのようなことは、「統計学」とやらには何も分からない。統計学は、過去に起きたことをデータに基づいて解説したり、将来について、おおざっぱな傾向を掴むことは出来るのだが。それは当たらないと考えておくのが無難だと思うよ。
ちょっとここで誤解がないように一言。ここで言う統計学は、記述統計の話しではない。占い師が言うような、統計を使って将来が見えると主張する人たちのいう統計学を指す。
もう一度言う。過去や経験から学ぶことは多い。しかし、それで未来が見えるという人がいたら、その人は、ちょっと怪しい。騙されないようにね。占い師以外にも、それらしい人たちはたくさんいるから気をつけて。経験則だけで世の中や人の人生、性格が分かると思い込むことは、それはそれで幸せの一つの形かもしれないが、現に、人生はそうではないのだから、そう思い込まないで生きていって欲しい。
あ、ボートから撮った写真だよ。風が気持ちよかったね。
おやすみ
仮に、統計データがとても整備されているような理想的な世界があったとしよう。もちろん、人の性格や人生についでだ。さて、そのようなデータがあれば、君たちの人生や性格が占えるだろうか? 特に、これからの人生について占えるだろうか? 私の考えでは、それは絶対に無理だというものだ。
過去や経験に学ぶことの大切さを否定するつもりは全くない。それはとても大事なことだと思っている。あくまで、歴史を楽しみたいとか、教訓を得たいという理由ならばの話しだ。しかし、過去、歴史、経験から、将来が見えると思ったら大間違いだ。だから、占い師が、「占いは統計学だ。統計データはあるのだ。数千年の歴史のデータがあって、それに基づく研究結果なのだ。だから、あなたの未来が見えるのだ」などといったら、絶対に嘘だと思って間違いない。それは絶対に嘘である。その占い師の元を立ち去りなさい。お金を返してもらいなさい。ああ、これはいけない。「絶対」という言葉を軽々しく使ってしまった。失礼。
過去や経験から学ぶことはあれども、それで未来は見えるようにはならない。なぜだろうか?
ここで私が解説するよりも、今まで歩んできた自分の人生を振り返ってみてほしい。
統計データで過去の傾向のようなものが見えるかもしれない。父親は、いつも仕事をしているから、きっと明日も仕事をしているだろう、というように。そのように考えてしまう傾向があるのは、世の常、人の常なのかもしれない。太陽は明日もきっと東から昇るだろうというようにね。でも、さっき振り返った自分の人生はどうだろうか?
何となく、昨日までと今日も同じ日が過ぎていくように感じることも多いかもしれない。でも、同じように過ぎている日々でも、どんどん変わっていっているんだよ。パパは今日まで生きているから、明日も生きているのかい? 生きていたいけど・・・・。いろいろなことを体系的に整理して書きたいところだけれども、そこまでしっかり考えていないし、もう夜も遅いので、今日は、一つだけ、書いておこう。
過去を振り返ると、「経路依存」だと思わないかい? 「経路依存」というと、賢そうな人たちが、あれやこれやと語っている論文や書籍、インターネットホームページ、ブログなどいろいろあるけれども、そんなに難しく考えるのはやめよう。「厳密に」考えることは、「厳密に考えたい人達」に任せておけばよい。さて、経路依存だけども、何かというと、君たちは、運命なのか偶然なのか、私とママの子供として生まれた。そして今の君たちは「だからこそ」の今なのだ。将来、どこかで好きな男性に出会うかもしれない。え? もう出会った? 連れて来てみなさい。パパはゆっくりお話したいと考えている。そういう出会いが人生を大きく変えることもある。その人との出会いは全く以って、過去の経験やデータからはうかがい知れないような、本当の偶然かもしれない。それで人生が変わる場合もあるのだ。人生は、そうやって、色々な出会いという予想外の出来事で、次が展開し始めることがなんと多いことか。
私がママと出会ったのは本当に偶然だ。そして結婚することになった。その「想定外だった出会い」によって、その後の人生が、出会わなかったときに歩んだであろう人生(そんなものはないのだが。あくまで空想の世界)とは大きく変わったはずだ。そういう一つ一つの、予想外の出来事に導かれて今日に至っているようなことを経路依存だと考えてほしい。専門的な厳密な正しい説明は、その道の人に聞いてみればいい。きっとつまらない説明をしてくれるだろう。
そういう、予想外の出来事で、次々に人生が展開していくことを、過去の経験や歴史は説明してくれるだろうか? 過去の歴史や経験では、「そういうふうに人生が展開していくこと」を教えてくれる。しかし、だからといって、これからどのように展開していくのか、様々な偶然の積み重ねが、どのような展開に導くのか、そのようなことは、「統計学」とやらには何も分からない。統計学は、過去に起きたことをデータに基づいて解説したり、将来について、おおざっぱな傾向を掴むことは出来るのだが。それは当たらないと考えておくのが無難だと思うよ。
ちょっとここで誤解がないように一言。ここで言う統計学は、記述統計の話しではない。占い師が言うような、統計を使って将来が見えると主張する人たちのいう統計学を指す。
もう一度言う。過去や経験から学ぶことは多い。しかし、それで未来が見えるという人がいたら、その人は、ちょっと怪しい。騙されないようにね。占い師以外にも、それらしい人たちはたくさんいるから気をつけて。経験則だけで世の中や人の人生、性格が分かると思い込むことは、それはそれで幸せの一つの形かもしれないが、現に、人生はそうではないのだから、そう思い込まないで生きていって欲しい。
あ、ボートから撮った写真だよ。風が気持ちよかったね。
おやすみ
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