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天気予報

いつの日からか、天気予報では降水確率が発表されるようになった。しかし、この降水確率というものは本当に何のことか難しい。いやもちろん、定義はあるのだ。ネット上で調べてみると、「予報区内で一定の時間内に1mm以上の雨または雪(融けたときの降水量に換算する)が降る確率」(wikipedia)ということだそうだ。それはそうだろう。それはもっともな定義だ。

私が難しいねと思うのは、例えば、降水確率30%とは何かということだ。昨日に至っては、降水確率50%という予報だった。降水確率50%とは、降るかもしれないし、降らないかもしれない。五分五分だ、といっているのだ。その予報の解釈は難しい。では30%の解釈はどうだろうか?

頭の良い人たちが、コスト/ロスモデルだとか何とか言っているようだが、その前に、我々にとっての確率というものは一体何なのか、そういうことをもっと丁寧に誰か教えてもらいたいものだ。お前が知らないだけだ、と心の中で考えた人は、どこかできっと思考停止をしているのではないだろうか。いや失礼。

もっと分かり易く言おう。降水確率ではなくて、違う状況を考えてみよう。あなたは、明日、30%の確率で死ぬ。そして70%の確率で生きる。さあ、これを「文字通り」受け止めることが出来る人は、本当に頭でっかちな凄いひとだと思う。人間は、永遠の命はないわけで、つねに死ぬ確率はゼロではない。事故に遭うかもしれない。だから、それが何だというのだ、と考えた人もいるだろう。

明日、3割の確率で死に、7割の確率で生きているという分析が仮に正しいとして、それはどういう意味なのだろうか。つまり、明日は死んでいるかもしれないし、生きているかもしれない。多分、生きているだろうけど・・・という意味にとらえればいいのだろうか。では、明日、4割の確率で死亡し、6割の確率で生きているとすると、その解釈はどうなるのだろうか。つまり、私という人間にとっては、明日は死ぬかもしれないし、生きているかもしれないし、私は生きていたいと信じているが、何があるか分からない。そして、答えは二つに一つ。ただそれだけなのだ。3割とか4割とか、それがもし過去の統計情報から得られた数字であっても、それは過去の私以外の人たちに関する情報でしょ。その人たちで私の生死を決めないで頂きたい。

話しが逸れたが、降水確率も、雨が降るか否かだけだ。あの確率を持ちだしているのは、確率を公表している人たちの自己満足か、それが利用者の利便性向上につながっているという幻想があるためだろうと思う。少なくとも、私は確率なるものとうまく日常で解釈して使うことが出来ない。

確率というもので何かを表現すれば、奇麗に表現できたと思うのは、少し、人間性に欠けた話しではないだろうか。
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